名古屋市緑区有松へ旧東海道の町並み見学に行ってきました。平日に行ったため見学できる施設はほとんどなく人影もまばらでした。重要伝統的建造物群保存地区は,ゆるやかに曲がった旧東海道の約800mの区間で,広い間口を持つ絞商の主屋や門・塀が数多く見られ,電柱・電線のない広々とした町並みです。

まず,気づかされたことは有松は宿場町ではなかったことです。調べてみると,この付近の東海道五十三次の宿場町は池鯉鮒宿(現在の知立)と鳴海宿で,その間につくられた間宿でした。間宿は宿泊が禁止されており,さらに鳴海宿に近いため旅人相手の商売には限界がありました。村(町)がつくられる前は松林が生い茂る人家の無い荒野で,東海道の旅人の安全と保護のため尾張藩は優遇措置をとることで1608年に知多郡一帯から移住者を募ったそうです。移住者たちは,萱葺の家を建てて茶屋集落として有松宿を造りました。
1748年の大火で村は全焼してしまいましたが,萱葺屋根は瓦葺に,木造の壁や軒裏は塗籠として町は再建されます。現在の町並みでは江戸後期から昭和前期までの様々な時代の建物がみられますが,東海道に面する主屋は木造2階建,切妻屋根*,桟瓦葺*,平入*を基本としており,同じような建物が並ぶ印象を受けます。また,卯建*,虫籠窓*,塗籠造*など,特徴的な建築様式が見られます。
*切妻屋根:棟から地上に向かい,2つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根
*桟瓦葺:瓦の下の下地材の上に設けられた桟木に瓦を引っ掛けて固定する方式。
*平入:屋根の「棟」と並行する側に建物の出入口があるもの(図9 参照)。
*卯建:屋根の両端,隣家との境に設けられる防火壁で,後には裕福な商家の財力と格式を示す
「装飾」へと変化しました。「うだつが上がらない」の語源です。
*虫籠窓:厨子二階(中二階)に設けられた,虫籠のような細かな格子(虫籠格子)が特徴の
漆喰塗りの窓で,通風・採光・防火・目隠しを目的としたものです。
*塗籠造:商家やお城の外壁に土壁(漆喰)を塗って木部を覆う工法です。






有松は有松絞で有名ですが,唯一開いていた有松・鳴海絞会館をチラリと覗いただけです。木綿布を藍で染めたものが代表的で,糸のくくり方で模様が変わるのが特徴です。三河木綿は「太くて,毛足が短くて,強い綿」です。木綿(綿花)の栽培には,水はけが良く,通気性に優れた地質が適しておりさらに乾燥に強いことから,矢田川層の砂礫層などが適していたのかなと思います。最初に移住した8人のうちの1人の竹田庄九郎という人が手ぬぐいに「豆しぼり」をつくり販売したのがはじまりとされます。ただし,いろいろな説があるようです。広重の浮世絵「東海道五十三次」に描かれた鳴海の宿は有松を描いたもので,「名産有松絞り」と記してあります(図8)。


保存地区の北西側の端は名古屋第二環状自動車道と交差するところですが,そこに「有松の一里塚」があります。一里塚の上にはエノキが植えられ,木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていたそうです。また,一里塚は本来,街道の両側に対で設置されていたようです。残念なことに現在の有松一里塚は,元の場所に近い場所に新たにつくられたもので,対になっています。名古屋市内では笠寺一里塚しか残存していません。 五街道における一里塚の樹種は,エノキが一番多く全体の55%だそうです。枝分かれが多くて大きな緑陰を作ることができるためと考えられます。


現在,名古屋市内に6個しかないうちの一つで,もう一つも保存地区にありました。


コメント