日本では石油のほとんどを輸入に頼っていますが,新潟県,秋田県などから現在も採油しています。石油は,生物の死骸が海底や湖底に堆積し,その大部分が化石化してケロジェンと呼ばれる物質になり,長い間に地熱と地圧の影響を受けて熟成されてできると考えられています。石油は地下に存在しますが,地下に大きな空洞のような空間があり「石油のプール」のような状態でたまっているわけではありません。石油は砂岩のような比較的粗粒な岩石の粒子の隙間に水と一緒に入り込んだ液体状態で存在しており貯留岩と呼びます。ただし,ここで石油ができるわけではなく,石油のできる場所はそこより深部の根源岩と呼ばれるところで形成されます。
日本書紀に,天智7年(668年),越の国(新潟地方)から「燃ゆる土」と「燃ゆる水」が近江大津宮に献上されたという記録が残っています。江戸時代には石油は「くそうず」(臭水,草生水)と呼ばれていました。新潟県胎内市黒川~下館地域には油坪(石油が溜まっているところ)が多く残っています。これは原油を含む層(貯留岩)が浅いため,自然に湧き出して,くぼ地にたまる状態になっているからです。この臭水を採取した油坪は「臭水油坪跡」(図1・図2)として国の史跡に指定されて,石油公園(シンクルトン記念公園)となっています。シンクルトンはイギリス人医師で,それまでの湧いてくる石油をすくうだけだったものを櫓式の垂直掘り技術を導入して大量の採油を可能にしました。この地域は黒川油田(秋田県にも黒川油田があります)と呼ばれますが,原油の色は黒褐色で,ガスはメタンが主成分で二酸化炭素が多量に含まれることが特徴です。現在でも天然ガスが湧き出している様子が見られます(図2)。地域の地層は新第三紀中新世の下関層で七谷層に相当します。
少し南方の新潟市秋葉区の新津油田跡には石油の里という施設があり,多くの油田関係の施設が保存されています。また露頭で含油層を見ることもできます。私が初めて油田の地層を見学したのは40年ほど前の日本地質学会の巡検(長岡・西山地域)で,その後,秋田県の新矢橋油田も見に行ったことがあります(村松,2016)。油田については「資料」として別稿で紹介したいと考えています。
参考文献
秋葉ほか,2010,瑞浪化石博研報,36,55-89.
村松,1982,名古屋地学,78,4-12.
コメント