佐渡の小判(金)を陸揚げした出雲崎町

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 三国街道を紹介したTV番組を見て,先日,小判(金)を陸揚げした地を示す碑を見たことを思い出しました。佐渡へは2,3回フェリーで行ったことがあり,島内の地層見学や金山跡の見学もしましたが,つくられた小判などが出雲崎町で陸上げされていたことは知りませんでした。
碑のある所は「道の駅 越後出雲崎天領の里」になっています。『出雲崎石油記念館』もあります。
道路(国道352号線)を挟んだ反対側には石油掘削の機具も展示されています(石油産業発祥地記念公園)。近くには良寛記念館があり,良寛さんの書が多く展示されていました。また,大きな珪化木もありました(産地はこのあたりではないようです)。

1800年代の初めまでは佐渡で小判までつくっていたそうです。佐渡の相川から小木,小木から船で対岸の出雲崎へと運ばれ,さらに北国街道から中山道に入り,江戸まで運ばれたそうです。そして,このルートが一番,安全度が高かったようです。当然,この地は幕府直轄地の天領*で,代官所跡も残っています。出雲崎で,御金蔵に納め2 ~3日後,江戸へ向かいました。出雲崎~江戸の所要日数は約11日だったそうです。
天領*:幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治になってからで,幕府直轄地を明治政府が没収した際に,「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに,観光施設「佐渡金山」は連絡橋の補強工事のため,2024/1/6~3/15まで休館のようです。

見出しの金インゴッドは,佐渡金山のもの(相川郷土資料館で撮影)です。以前に宮城県の金山(当時は稼行中)で,同じようなインゴッドを手に持たせてもらったことがあります。99.99%の純金はさすが重かったですね。そのあと,一人にもかかわらず,稼行中の坑道の中も案内してもらえました。この鉱山は奥州藤原氏の平泉黄金文化を支えたところです。公共のバスで行きましたが,ずいぶん不便なところだった印象があります。

図1 佐渡金山金銀陸揚之地の碑
図2 良寛記念館の大きな珪化木

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